人の言動ばかり気にする人は、構造を見ていない

すぐ人のせいにする人は、構造を見ていない

問題が起きたときに、すぐ誰かのせいにする人がいます。

「あの人が悪い」
「あの人がやらなかった」
「あの人の能力が低い」
「あの人がちゃんと考えていない」

もちろん、個人に原因がある場合もあります。
責任を曖昧にしてよいわけではありません。

ただ、毎回のように人のせいにして終わる人は、物事を構造で捉えられていない可能性があります。

なぜなら、人の行動は、その人だけで決まっているわけではないからです。
役割、責任範囲、評価制度、情報の流れ、上司の関わり方、組織の空気、過去の成功体験や失敗体験。
そういった構造の中で、人の行動は生まれます。

たとえば、報告が遅い人がいたとします。

それを見て、
「報告ができない人だ」
「意識が低い」
「社会人としてどうなのか」
と判断するのは簡単です。

しかし、本当に見るべきなのは、そこだけでしょうか。

報告すべき基準は明確だったのか。
報告したときに、責められる空気はなかったのか。
報告しても何も変わらない経験が積み重なっていなかったのか。
そもそも、何を報告すべきか判断できるだけの情報や視座を与えられていたのか。

ここまで見ないと、問題の本質には近づけません。

「人が悪い」と言うだけなら簡単です。
しかし、それでは再発防止にはなりません。

なぜなら、人を入れ替えても、同じ構造が残っていれば、同じ問題がまた起きるからです。

すぐ人のせいにする人は、目の前の出来事を個人の資質や性格の問題にしてしまいます。
しかし、構造で考える人は、その行動がなぜ生まれたのかを考えます。

なぜ、その人はそう動いたのか。
なぜ、その判断をしたのか。
なぜ、そこで止まってしまったのか。
なぜ、周囲は気づけなかったのか。
なぜ、事前に防げなかったのか。

この問いを持てるかどうかが、構造理解の差です。

もちろん、構造を見ることは、個人を免責することではありません。

本人が考えるべきこともあります。
本人が成長すべきこともあります。
本人が責任を持つべきこともあります。

ただし、個人だけに原因を押しつけて終わると、組織は何も学びません。

「誰が悪いのか」で終わる組織は、同じ失敗を繰り返します。
「なぜそうなったのか」まで考える組織は、仕組みを変えることができます。

人のせいにすることは、ある意味では楽です。
考える範囲を狭くできるからです。
悪者を決めれば、一時的には納得できます。
自分や組織の課題に向き合わなくて済みます。

しかし、それは問題解決ではありません。
ただ、責任の置き場所を決めただけです。

本当に必要なのは、責任追及ではなく、構造理解です。

誰のせいか。
ではなく、なぜそうなったのか。

誰が悪いか。
ではなく、どの構造がその行動を生んだのか。

この視点を持てないまま人のせいにし続けると、組織はだんだん弱くなります。

問題が起きるたびに誰かを責める。
責められた人は防御的になる。
周囲は失敗を隠すようになる。
情報共有は遅くなる。
本音は出なくなる。
そして、また問題が大きくなってから表面化する。

この悪循環を生むのは、人のせいにする文化です。

構造を理解する人は、個人を見ながらも、個人だけで終わらせません。
その人がなぜそう動いたのか。
その行動を生んだ環境は何だったのか。
同じことを繰り返さないために、何を変えるべきなのか。

そこまで考えます。

人のせいにすることは、簡単です。
構造を見ることは、難しいです。

しかし、組織を良くするために必要なのは、後者です。

人を責めるだけでは、人は変わりません。
仕組みを見直さなければ、同じ問題は繰り返されます。

すぐ人のせいにする人は、構造を見ていない。
だからこそ、問題の本質にも届かない。

本当に見るべきなのは、誰が悪いかではありません。
その問題が、なぜ起きる構造になっていたのかです。

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