自分が正義だと思う人の危うさ
「これは正しいことだから」
そう思って行動すること自体は、決して悪いことではありません。むしろ、仕事でも組織でも、自分なりの正義感や信念がなければ、流されるだけになってしまいます。
ただし、危ういのは、自分が正義だと思った瞬間に、相手への配慮や状況確認をしなくなることです。
正義は、本来であれば人を守るためのものです。けれど、自分の中だけで完結した正義は、簡単に他人を動かすための圧力に変わります。
「正しいこと」なら、何をしてもいいのか
仕事の中で、「至急」「急ぎです」「これは重要です」といった言葉を使う人がいます。
もちろん、本当に緊急度が高いこともあります。対応が遅れれば顧客に迷惑がかかる、障害が広がる、誰かが困る。そういう場面では、急いで動く必要があります。
しかし問題は、そこに十分な説明がないまま、相手の時間や集中を奪おうとするケースです。
「急ぎです」と言うだけで、なぜ急ぎなのかを説明しない。
「重要です」と言うだけで、何と比較して重要なのかを示さない。
「お客様のためです」と言いながら、本当に顧客のためなのか、自分の保身なのかを考えない。
このような依頼は、正義に見えて、実際には自分の都合を正しそうな言葉で包んでいるだけかもしれません。
自分の正義は、他人にとっての負荷になる
自分が正しいと思っている人ほど、自分の依頼が相手に与える負荷を軽視しがちです。
なぜなら、自分の中では「正しいことをしている」という感覚があるからです。
しかし、相手にも仕事があります。相手にも優先順位があります。相手にも抱えている責任があります。
その前提を見ずに、ただ「これは正しいことだから動いてほしい」と求めるのは、相手の状況を無視しているのと同じです。
正義を持つことと、他人のリソースを当然のように使うことは別です。
本当に正義を語るなら、相手を動かす前に、次のことを説明する必要があります。
- なぜ今すぐ必要なのか
- 遅れた場合に何が起きるのか
- 誰にどんな影響があるのか
- 今やっている作業より優先すべき理由は何か
- 最低限どこまで対応すればよいのか
- 優先順位を変える責任を誰が持つのか
これらを示さずに「正しいことだから」と相手に動くことを求めるなら、それは正義ではなく、ただの押し付けです。
正義は、検証されなければ独善になる
正義感の厄介なところは、本人の中では善意であることが多い点です。
本人は悪気がありません。むしろ、良いことをしていると思っています。だからこそ、立ち止まりにくい。
「自分は間違っていない」
「これは必要なことだ」
「相手も分かるべきだ」
「組織のためにやっている」
こうした思考が強くなると、自分の正しさを疑う力が弱くなります。
しかし、正しさは一方向から見ただけでは分かりません。
自分の立場では正しく見えることも、相手の立場では負担かもしれない。
短期的には正しく見えることも、長期的には組織を疲弊させるかもしれない。
一部の人には都合がよくても、別の人には理不尽かもしれない。
だからこそ、正義は常に検証される必要があります。
自分の正義を疑えない人は、いつの間にか、他人を傷つけても「正しいことをした」と思えてしまいます。
「正しいことを言っている人」が、場を壊すこともある
組織の中では、正論を言う人がいます。
正論自体は必要です。問題を曖昧にせず、あるべき姿を示すことには価値があります。
ただし、正論だけでは物事は進みません。
人には感情があります。事情があります。体力があります。タイミングがあります。過去の経緯もあります。
そこを見ずに、ただ「正しいからやるべきだ」と言うだけでは、相手は動けません。場合によっては、正しいことを言っているはずなのに、場の空気を壊し、周囲の意欲を下げてしまいます。
正義や正論に足りないものは、しばしば大悲や方便です。
つまり、相手の苦しみや事情を理解しようとする姿勢と、相手が動ける形に変換する工夫です。
正しいことを正しいまま投げつけるのではなく、相手が受け取れる形にする。そこまで含めて、初めて現実の中で機能する正義になるのだと思います。
自分の正義を疑うための問い
自分が正しいと思ったときほど、次の問いを持つことが大切です。
- これは本当に相手のためなのか
- 自分の不安や保身を、正義に変換していないか
- 相手の状況を十分に見ているか
- 相手に動いてもらうだけの説明責任を果たしているか
- 自分が急がせた結果、何かを後ろ倒しにしていないか
- その負担を誰が引き受けるのか
- 自分が逆の立場なら納得できるか
これらの問いを持てるかどうかで、正義は大きく変わります。
問いを持てる正義は、他人への配慮を残します。
問いを持てない正義は、独善になります。
正義を持つなら、責任も持つ
正義を持つことは大切です。
誰かが困っているなら助ける。問題があるなら指摘する。放置すれば悪化するなら動く。そういう姿勢は、組織にとって必要です。
ただし、自分の正義で他人を動かすなら、その正義には責任が伴います。
急がせるなら、なぜ急ぐのかを説明する。
優先順位を変えさせるなら、何を後ろ倒しにするのかを考える。
相手に負荷をかけるなら、その負荷を理解する。
正しさを主張するなら、自分の見方が偏っていないかを疑う。
そこまで含めて初めて、正義は人を動かす力になります。
逆に、それがない正義は、ただの圧力です。
まとめ:正義は、人を雑に扱う免罪符ではない
自分が正義だと思うことには危うさがあります。
なぜなら、正義を持った瞬間、人は自分の行動を正当化しやすくなるからです。
そして、自分の行動を正当化できると、相手の事情や負荷を見なくなることがあります。
しかし、正義は人を雑に扱うための免罪符ではありません。
本当に正義を持つなら、相手の状況を見る必要があります。説明する必要があります。自分の都合や保身が混ざっていないかを疑う必要があります。
正義とは、自分が正しいと信じることではなく、自分の正しさを疑いながら、それでも必要なことに責任を持って向き合うことなのだと思います。
自分が正義だと思ったときほど、立ち止まる。
その一歩があるかどうかで、正義は人を救うものにも、人を追い詰めるものにも変わるのだと思います。


















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