エスカレーション過多はなぜ起きるのか|善意が負荷になる構造

エスカレーション過多はなぜ起きるのか|善意が負荷になる構造


最近、仕事の中で「エスカレーションが多い」と感じる場面が増えました。

ただ、それを単純に「能力の問題」や「自信のなさ」と片付けることに違和感があります。
むしろ、エスカレーションが多い人ほど、真面目で仕事をしっかりやろうとしている印象があります。

ではなぜ、それが“過多”と感じられてしまうのでしょうか。


エスカレーション過多とは何か

エスカレーション過多とは、単純に回数が多いことではありません。

受け手が「多い」と感じる状態であり、
言い換えると、

相手が求めている量を超えている状態

だと思います。

つまりこれは、行動の問題というよりも、
関係性の中で生まれるズレの問題です。


エスカレーションが多い人の特徴

エスカレーションが多い人には、ある共通点があります。

・真面目で責任感が強い

与えられた仕事をしっかりやろうとする意識が強い

・失敗を避けようとする

間違いを減らすために確認を重ねる

・正しく報告しようとする

抜け漏れなく伝えることを重視する

どれも本来は良い特性です。

だからこそ、単純に否定できない難しさがあります。


なぜエスカレーションは過多になるのか

ではなぜ、その真面目さがズレてしまうのでしょうか。

① 期待値のズレ

受け手が求めている粒度や頻度と、
送り手の報告の量が一致していない状態です。

  • 「このくらいは任せたい」と思っている側

  • 「ここも確認した方がいい」と思っている側

このズレが積み重なることで、過多と感じられます。


② 相手視点の欠如

ここが個人的に一番大きいと感じています。

  • 相手は今どのくらい忙しいのか

  • どの粒度で判断したいのか

  • 任せたいのか、関与したいのか

こういった「相手の状況」を前提に行動できていないと、
結果として負荷になります。

思いやりとは、相手の負荷を想像して行動を調整する力

この視点が抜けると、善意の行動でもズレていきます。


③ 判断基準の不在

もう一つは、「どこまで自分で持つか」という線引きが曖昧なことです。

  • どこからがエスカレーションすべき範囲なのか

  • どこまでは自分で決めていいのか

この基準がないと、結果としてすべて上げることになります。


正しいが適切ではないという構造

エスカレーション過多の厄介な点はここにあります。

  • 報告している内容は正しい

  • 抜け漏れもない

  • プロセスも丁寧

それでも、

「正しいが、適切ではない」

という状態が生まれます。

これは能力の問題ではなく、
“正しさ”と“適切さ”の軸がズレている状態です。


エスカレーション過多への向き合い方

では、この問題にどう向き合えばよいのでしょうか。

強く指摘するだけでは、萎縮してしまい逆効果になりがちです。

重要なのは、「量を減らせ」と伝えることではなく、
判断の基準を共有することだと思います。


・判断の線引きを渡す

  • 「このレベルは自分で決めてOK」

  • 「この条件のときだけ上げて」

量ではなく、判断基準を明確にする


・期待値を言語化する

  • 「結論だけでいい」

  • 「まとめて相談してほしい」

相手がどのくらいを求めているのかを伝える


・思考を引き出す

  • 「あなたはどうしたいと思う?」

判断そのものを委ねることで、徐々に基準を育てていく


まとめ|エスカレーションは関係性の問題

エスカレーションが多い人は、決して手を抜いているわけではありません。

むしろ、真面目で責任感が強いからこそ起きている行動だと思います。

ただ、その真面目さが「自分の安心」に向いた瞬間、
相手にとっては負荷になります。

問題なのは回数ではなく、

  • どこまで自分で持つかという線引き

  • 相手がどう受け取るかという視点

この2つのバランスなのかもしれません。

エスカレーション過多は、個人の問題ではなく、
関係性と構造の中で生まれる現象として捉えることが重要だと感じています。

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