相談しているはずなのに、なぜ話の主導権が変わるのか
仕事の中でも日常でも、誰かに相談する場面があります。
自分としては
「少し考えを整理したい」
「別の視点を聞いてみたい」
そんな気持ちで話を始めることがあります。
ところが会話を続けていると、時々こんな流れになることがあります。
相手が突然、自分の経験談を語り始める。
過去の成功体験や苦労話が続く。
そしていつの間にか、こちらが相談したはずの話題よりも
「相手の話」
が中心になっている。
相談していたはずなのに、
会話の主導権がいつの間にか入れ替わっている。
そんな経験をしたことがある人もいるのではないでしょうか。
最近、なぜこういうことが起きるのかを考えることがあります。
人は「役に立ちたい」と思う
まず一つ感じるのは、人は基本的に
役に立ちたい
と思う生き物なのではないかということです。
相談を受けると、
何か助けになりたい
自分の経験を伝えたい
良いアドバイスをしたい
そう考えるのは自然なことです。
その結果、
「こういうときは昔こうだった」
「自分の経験ではこうだった」
という話が出てくるのだと思います。
それ自体は決して悪いことではありません。
経験を語ることは、自分を語ることでもある
もう一つ感じるのは、
経験を語ることは、自分の価値を語ることでもある
という点です。
人はこれまでの経験の中で
苦労したこと
成功したこと
乗り越えてきたこと
を積み重ねています。
そのため、相談を受けると
「自分の経験が役に立つかもしれない」
という思いから、自然と過去の話をするのだと思います。
ただ、その流れが長くなると
相談の時間が経験談の時間
に変わってしまうことがあります。
相談は「答え」より「整理」のことも多い
相談する側の気持ちを考えると、
必ずしも答えを求めているとは限りません。
むしろ多くの場合は
考えを整理したい
別の視点を知りたい
話すことで頭の中を整理したい
そういう時間だったりします。
しかし相談を受ける側は
「答えを出さなければいけない」
と感じてしまうことがあります。
その結果、
アドバイス
経験談
解決策
を提示する方向に会話が進んでいきます。
ここに少しだけズレが生まれるのかもしれません。
会話の役割は、必ずしも「教えること」ではない
こうして考えると、
相談の会話には二つの役割があるように思います。
一つは
解決策を示すこと
もう一つは
考えを整理する時間をつくること
です。
後者の場合、
大事なのはアドバイスよりも
話を聞くこと
質問すること
視点を広げること
なのかもしれません。
会話の主導権ではなく、会話の余白
会話の中で主導権を握ろうとしているわけではなくても、
役に立ちたい
経験を伝えたい
という気持ちから、
結果的に話す側になってしまうことはあるのだと思います。
ただ、相談の会話では
少し余白があること
も大事なのかもしれません。
答えを急ぐよりも、
相手の考えが少しずつ整理されていく時間。
そんな会話のほうが、
結果として良い気づきにつながることもあるように思います。
最近そんなことを考えています。


















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