求めすぎは非効率!?人に理想を押し付けてはダメな理由
人に何かを頼むとき、期待しすぎてませんか?
仕事でいえば、部下の人、請負や協力会社、各ベンダーであり、
家庭でいえば、パートナー、子供、自分の親などに対して、期待しすぎていませんか?
自分がこうやって欲しいのに思い通りにやってくれない、自分はここまでやっているのにそれと同等以上にやってくれないといったことで、イライラすることでストレスを溜めていませんか。
私自身、仕事でいえば、協力会社さんや会社内の同僚、もっといえば、上司に対しても思っていました。
また、家庭でいえば、嫁さんや子供に対しても、思っていました。
しかし、ある時、「他人対して、自分の理想を求めすぎ」だと気づきました。
他人に対して、理想を求めれば求めるほど、自分に中でストレスが溜まり、自分がより辛くなることに気づき始めました。
逆に理想を求めすぎず、最低限のレベルを求めつつ、最悪、自分自身で対応するつもりで他人に対して依頼し始めると、
他人との関係が非常に良好となり、最低限レベルの期待以上のより良い結果がでるようになったと感じています。
各場面で依頼する相手がどのように感じるかといった観点で、その理由を記載します。
仕事の場面
更新予定
家族(パートナー、子供)の場面
私は、嫁さんや子供と暮らしており、普段、会社員(SE)として仕事をしています。
最近はテレワークも増えていますが、事務所や出先(PJルームやデータセンターなど)に出向いています。
嫁さんはパートではありますが、日中は仕事をしており、1日中家にいる訳ではありません。
そのため、家事分担は必須になるのですが、我が家では分担をざっくりしている程度で、はっきりとは決めていません。
それこそ、お互いに意思を持ってはっきりと決めておらず、お互いに理想を求めている状況ではありません。
本当のことを言えば、私が子供の時に思った父親と母親のような家事のタスク割を考えてしまい、
「家に帰ったらご飯がない!」
「次の日、着ていく服がない!」
「家が散らかっている!足の踏み場もない!」
「休みの日が、子供の面倒でゆっくりできない!」
といった点で、過去に(結婚当初ではなく、子供が生まれた後が特に)不満を持つことがありました。
でも、これは古い考え方で、そう思えば思うほど、ストレスを溜めることに気づきました。
簡単な話ですが、どれもパートナーに対して過度に期待しすぎなんです。
嫌なら自分でやれば良いんです。
・ 家に帰ったらご飯がない → 嫌なら自分で作ればよい、買えばよい
・ 次の日、着ていく服がない → 嫌なら自分で洗濯すればよい、クリーニングに出せばよい、洗わなくてもリセッシュすればよい
・ 家が散らかっている、足の踏み場もない → 嫌ななら自分で片付ければよい、掃除すればよい
・ 休みの日が、子供の面倒でゆっくりできない → 嫌なら家族がいない日に黙って有給取るように調整したらよい
子供が生まれた後は特に嫁さんの負荷が高くなり、嫁さんとしては家事をしようとしてくれてはいますが、嫁さん自身、自分の時間が無くなり、余裕がなくなり、今までできてきたことが、できなくなったと、私は思っています。
子供って、結局は、お母さん!ママ!と、母親を優先して頼ってしまうところがあると私は思っており、その分、家事ができなくなることは当然だと考えています。(当然、子供からお父さん!パパ!と頼ってほしいと思ってますよ!)
そんな状況で、俺のご飯がない、服がない、家が散らかっている、ゆっくりできないと言う父親は、ちょっと信じられません。余程稼いでいる人か、余程社会的影響力のある人か考えられ、仮にそうであっても大きな子供(お子様)としか思えません。
おそらく、パートナーを自分の親(=理想)と同じレベルで対応可能だと勘違いされてしまっていると想定されます。
また、自分が仕事できなくなったらとか、俺の当たり前(=親や今までがそうだった)とかを相手に押し付けすぎています。
私自身、仕事から疲れて果ててお腹が空いて、家に帰った時、ご飯もなく、食器もそのままであることがあり、やってられるか!と思ってしまったことがあります。
でも、これって、嫁さんが今までできたことができなくなっていることは、嫁さん自身に余裕が無くなってきているということもそうなんですが、それに順応できない自分自身にも余裕が無くなっていることに気づきました。
そう考えると、自分自身余裕がないこと=今の仕事が忙しいことに対して、余裕が無くなり家族を考えず100%胸を張ってやりがいのある仕事だ!と言い切れないと考え始めました。しかも、仮に仕事に対してやりがいがあったとしても、嫁さんや子供の余裕がない状況を無視してまでも、本当にやり切る必要のある仕事なのかだと。やり切らなかったら、本当に誰が困るのかと。誰か命をなくすのかと。
もし、今の仕事自体が無くなっても、代わりに人がいるのか、その仕事自体も無くなっても問題ないか、と考え始めると、実はそうでもないと気づき始めました。
おそらく、みんな、自分の理想を考え、自分自身だけではなく、他人にも押し付けすぎだと感じ始めました。
いやーほんと、ちゃーんと考えると、ほんと大した仕事じゃないですよ。
結局、誰であっても、代わりはいますし、自分自身がいなくてもなんとかなります、というか、誰かがなんとかします。
それを前提に考えると、結局のところ、何を大切にするかになってきます。
まとめ
更新予定。
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